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8月1日の静岡新聞に松井秀喜さんのエキストライニングスというコラムが掲載されている。タイトルは「野球人らしさの規範」。 大リーグには野球規則にないルールがある。大差の試合で送りバントや盗塁をしない。派手なガッツポーズを見せない。ノーヒットノーランをバント安打で破らないなど、対戦相手との関係から生まれたものが多い。 何しろ不文律だから点差など状況に明確な線引きがなく、時にはチーム間で認識が食い違う。一線を越えたと見なされると、死球による報復につながることもある。個人的には各選手が規範を持っていれば、リーグの不文律はなくてもいいと思う。ただ趣旨は理解できるから、根付いているものに従おうとは考えた。 決まり事の中には単純に選手の態度を戒める類もある。例えば「痛がらない」はその典型で、自打球に当たっても平静を装わなければいけないし、トレーナーも簡単には来てくれない。弱みを見せるなというわけだ。 大リーグの不文律は、分かり易く言えば米国人が考える「野球選手らしさ」なのだろう。敗者への情けや記録に挑む相手の尊敬、戦う者としての態度など、規則の条文だけではコントロールできない野球に対する姿勢を表していると思う。 同じ競技でもルールの盲点を突いて勝利を追求するか、不文律でルール以上に自分たちを縛るかで大きな差が出ると思う。もちろんプロだから勝つことが大事だ。ただ大リーガーなら誰にも文句を言わせない勝ち方を目指せということ。不文律は戦い方を評価する物差しになっている。 「らしさ」や「不文律でルール以上に自分たちを縛るかで大きな差が出る」と言った文章を読むと、「かくあるべし(自分らしさの追求)」や「「人間、どう振る舞い、どう行動することがもっとも美しいか、という精神の美意識のありかが、人のもっとも肝要なものだということは、いつの時代のどの社会も変わらない」(司馬遼太郎)といった「武士道」の世界を思い出す。 法律にあるわけではない、ルールに書かれているわけでは無い、でも、自分の生き方を縛るもの。誰かに見られているから、誰かに言われたから、といった外部から強制されたものでは無く、自らの意思で行動するもの。こういった言わば「道徳」をいかに大切にするかがとても重要なのだと思う。 大リーグには「騎士道」が根付いているのだと思うとホッとする。 #
by beaverscoach
| 2014-08-01 18:03
サッカー日本代表監督に就任するハビエル・アレギ新監督が初めてインタビューに応じたそうだ。 そのインタビューで新監督は、「日本代表は、競争力やずる賢さが足りない」と指摘したそうだ。「競争力不足。それを補っていきたい。試合の運び方、ラテンのずる賢さだ。日本は全般においてスピードがあり、テクニックも向上している。しかしずるさがない。とても正直なサッカーだ」と。 ブラジルW杯で結果は残せなかったが、前監督のアルベルト・ザッケローニは、「男の価値は誠実さで決まる。サッカーにマリーシア(ずる賢さ)なんてものは必要ない」と語っていた。新監督とは正反対の精神だが、正攻法にこだわって結果は残せなかった。 更に、アギレ監督はこう続けて勝つことへの執念をあらわにしたそうだ。 「南米人はストリートで学ぶ。私のスタイルで競い合うことを教え、重要な時の守り方を分からせたい。残り15秒のCKでも(相手)GKのファウルを誘うくらいの駆け引きをしてでも。あくまでルールの中で、汚いプレーではない」と。 このずる賢さがどう評価されるのはわからない・・・。サッカーではこれくらいやるのが国際標準なのかもしれないが・・・。 野球と比べてどうなのだろうか。野球も「野球とBaseballは違う!」「スモールベースボール」と言われるのだから日本独特の戦い方は存在する。しかし、ずる賢いかというとそうは感じない。 体格やパワーに劣る日本人が勝利するには技術や俊敏性が必要になる。野球びいきな発言になるだろうが、これは日本人が愛する「柔よく剛を制す」に通じる部分だと思う。 侍の国の指導者としては、ザッケローニに何とか結果を残して欲しかった・・・。つくづく残念である。「男は度胸、女は愛嬌」とイタリア人監督が言ったらずっこけちゃうが、「男の価値は誠実・・・」。日本人や日本の文化に大変敬意を払ってくれたと聞く。日本人よりも侍らしい監督だったと思う。長い間、お疲れ様でした。そして、ありがとう! ところでザッケローニ監督に質問です。「男の価値は誠実さで決まる。」と言ってますが、女の価値は何でしょう・・・。 #
by beaverscoach
| 2014-07-31 10:46
「至誠而不動者未之有也」 ~至誠にして動かざるものは いまだこれあらざるなり~ 幕末、吉田松陰が幕府に捕えられた際,故郷に残した言葉でもある。 意味は、「誠意を尽くせば(真心を持ってことにあたれば)、動かされない者はない」という意味になるだろうか。 もとは、孟子の引用であり、 「何か他人に行なってよい反応を得られなかったら、すべからく自分自身に原因がないか反省すべし」と説かれた教えである。 なかなか自分を理解してもらえない、周囲が動いてくれない ^_^; こんな時、全てを他人のせいにして、理解してくれない人・動かない人を貶したくなる。が、実際は、全ては己の責任であり「真心が足りない」・・・ 今の世の中、この教えが通じるのだろうか? 通じるか通じないかが問題ではなく、「かくあるべし」と生きるべしなのだろう。 しかし、こんな風に自らを省みることが出来るようになるのだろうか・・・。 まだまだ修行が足りん・・・ 大きな字で「真心」「誠意」と書かれたTシャツを着てようか・・・ #
by beaverscoach
| 2014-07-24 17:12
静岡新聞・窓辺というコラムに清水エスパルスユース監督・大榎克己さんが寄稿している。6月28日の窓辺には「私の指導5箇条」というタイトルで大榎さんが大事にしている5つのことが記されていた。 優先順位なのかは不明だが、一つ目から、 1.ロジカル(論理的な)分析 伝える側が論理的に物事を見て、論理的に選手に伝えなければ、意味をなさない。 2.コミュニケーション能力 選手の精神状態の把握が大切。表情を見て、緊張した選手がいればリラックスさせ、自信がなさそうなら気持ちよくサッカーをさせることができれば、より能力を引き出せる。 3.フォロワーシップ(補助)できる組織作り 監督の意図をくみ取れるコーチの存在は大きい。監督が全てにおいてやり過ぎないことも意識する。 4.決断力 先発や選手交代、スケジュール管理など、最終的に監督の責任で決めるが、全て勝利に向かってのこと。情を入れれば組織はまとまらない。 5.パッション どんな斬新な練習メニューでも身につくことはほとんど変わらないし、魔法の練習も無いと思うが、指導者の情熱が無ければ選手に響かない。選手が練習をどう受け入れるかで、成長の度合いは決まる。 大榎監督は、最後に元フランス代表監督のロジュ・ルメール氏の言葉を紹介していた。 「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」。そして、指導者が妥協すれば、組織の発展も、選手の成長もないと結んでいる。 一つ一つがフムフムと納得であり、大変参考になる。と同時に自分は指導者として何を大切にしているのだろうか?と考えてみたくなる。今まで学童野球の指導者として、漠然と大切にしてきたことはあるのだが、それを改めて整理してみる。 1.情熱(パッション) 「熱い」と言われ続けているからだろうか、まず最初に思い浮かんだのがこれである。その中でも一番大切にしているのは、「まず自分が全力を尽くす」ということ。選手やチームにとって良いと思わることはまず自分が精一杯やってみる。それも見返りを期待したり、計算や損得勘定抜きにやってきたつもりである。 そんな姿勢が選手やチームに伝われば自然と信頼関係も生まれてくるものだと思う。特に選手に対しては、愛情を持って、行動をよく観察し、変化に気づいてあげることを大切にしてきた。 又、常にそうであるためにもモチベーションを維持する必要がある。我が子が学童野球を離れてからは、特に情熱を持って指導することを意識してきた。意識しないと、妥協してしまいそうだからである。指導者を信じて必死に汗水流している選手や保護者に対して失礼の無いように常に自分のモチベーションを上げていかなければと思う。 これが意外と大変なことであり、仕事が上手く行っていない時、奥さんに怒られた時など色々なことを超越して、しかも一定の情熱を維持することはなかなか大変である。情熱のレベルが日によって違ってしまっては、それこそ不信感になり信頼関係など生まれないだろう。 2.信念・方針 どんな信念や方針を持っているかをここで表明するつもりなのではなく、まず確固たる信念や指導方針があるということが大切だと思う。 ただあれば良いというのではなく、どんなチームにしたいのか、選手たちに何を学んで欲しいのか、野球以外の何を学んでほしいのか。ただ野球をやって勝てば良いでは、チームそのものの存在意義が問われるだろう。 選手や保護者に対して表明し、常にブレていないかを確認する作業が必要である。いろんな問題を点で見ると、意見としては妥当かと思えることは多々ある。では信念に照らし合わせてどうだろうか?一本筋の通ったブレない姿勢を貫くためにも基本となる柱、「信念・方針」がしっかりしていることが大事だと思う。 例えば、同じ位の技術レベルを持った6年生と5年生の2人が居たとする。 「来年のためにも5年生に多く経験させてあげたいから、公式戦では下級生を出す」 「下級生は、来年もチャンスがあるのだから6年生を公式戦に出すべき」 どちらもあり得る意見である。どちらを採用するか? そんな時にチームの指導方針や指導者の信念がしっかりしていれば自ずと答えは導かれる。当然、スポーツ少年団の理念を理解し反映させていなければならないが・・・ 更にいえば、「一発狙いの大振りでたまたま当たってホームラン」と「指導した通りの形で打った凡打」、「下がって捕ったが足が速く無い打者走者だったのでたまたまアウト」と「前に突っ込んだが、弾いてしまってセーフ」。どういう判断をするかは指導者次第だと思う。ただ、一つだけ言えるのは「結果論だけで判断するなら誰でも指導出来る」ということである。 学区制が撤廃された富士宮市の学童野球界では、この信念や指導方針が保護者や選手の選択肢として特に大切な判断材料になるのではないだろうか。 3.コミュニケーション能力 選手たちにはどんな野球をしたいのか、野球以外でもどんな能力を身に付けて欲しいのか理解してもらう必要がある。保護者の方にも同様に理解してもらう必要がある。書いてあるから読んでくれだけではなく、日頃の指導からブレていないことを理解してもらわなければならない。 いつも真っ赤な顔で子供たちを叱っているように思われているのは残念だが、厳しく指導するのは、礼儀・挨拶・態度など「道理を外れた」場合と「意識すれば出来ること」をやらなかった時。いつも叱っているように思われているのは自分のコミュニケーション能力が不足しているのだろう^_^; それと選手の行動や表情、プレーを見て精神状態を把握し、持っている能力を100%近く発揮できる状態にしてあげること。これは常に選手たちと会話を交わし、近くにいて観察していないと出来ないことである。練習の時からなるべく選手たちと一緒に体を動かし、近くで観察する。これは指導者としてユニフォームを着た時から一貫して意識してきたつもりである。 実は、最も磨きたいと思っているのがこのコミュニケーション能力というか観察力である。いつもとプレーが違う。言動がソワソワしている。そんな時に「何かあったか?」とピンと来る。グランド以外で何かがあってもなかなか気付かないものであるが、表情やプレーを見て、ピンとくる能力が欲しいものである。気付くことには自信はあるのだが、もっと早く気付いてあげればということは少なくない。選手には辛い思いをさせてしまったかなと思うことも何回かあった。そんな時は保護者の方からも気軽に話せる環境を作って、体調や最近の様子なんかも聞けるようになりたいと思う。 4.理論 指導者としては当然、選手に間違った理論や古い理論を教えたくは無い。増して、自分の経験や教わって来たことだけには頼りたくない。常にアンテナを張り巡らせ知識を増やすこと・アップデートすることは常に意識しなければと思っている。まさに、元フランス代表監督のロジュ・ルメール氏の言葉「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」である。 新しいことを学んだらまずやってみる。幸いにも、まだ体も動くので実際に試してみる。その中から良かったと思うものを取捨選択してから選手たちに指導する。気のせいか昔よりも自分のバッィングがよくなっている感触はある (―_―)!! それと、指導者間の指導方法や理論の摺合せも大切である。指導者によって教えることが違ったら子供たちも混乱してしまうだろう。 5.バランス 野球に限らずいつも大切にしているのがバランス感覚。情熱は必要だが熱くなり過ぎないように努めている。「たかが学童野球、されど学童野球」という感じなのだろうか。練習などでは飽きさせないように「遊び心と真剣勝負」を意識してメニューを考えたりしている。それが、公式戦の緊張感のなかでも余裕を持ってプレーできることに結びつけば良いのだが・・・ 身体のバランスも気にしてほしいところではある。野球はどちらかの手は投げるだけ・捕るだけ。スイッチヒッターでも無ければ、両方で振ることはあまりない。せめて、右で素振りをしたら、その1/3位は左で素振りをして身体のバランスを保って欲しいものである。 選手たちには野球やスポーツだけではなく、勉強とのバランスをしっかり保って欲しい。文武両道が理想だが、近づけるように努力して欲しいと常々言っている。 最後は、心と身体のバランス。やはり両方強くなって欲しい。よく食べ、よく学び、自分に負けずに努力する。それが健全な肉体と精神が宿る身体を作るのだと思う。 漠然と思っていたことを整理したら、思った以上に長くなってしまった ^_^; #
by beaverscoach
| 2014-06-30 17:45
横浜ベイスターズの元監督・牛島和彦さんが5月1日からスポニチの「我が道」というコラムで連載を始められた。現在は、心と体のコンディショニングルーム「セラ・ラボ」で、肩、肘を痛めた小中学生や大学生、社会人に技術指導をされてようです。 そのコラムの第1回目に、 『小学生もプロも基本は一緒。私は投手を見るとき、まずフィニッシュの形を頭の中に焼き付ける。右投手なら右腕を振り切ったときに右足の裏が空を向いていて、そのまま耐えられれば、バランスのいい理想的な形だ。そうならない場合は、どこかに原因がある。 投球フォームの映像をフィニッシュから始動まで頭の中で巻き戻していき、バランスを崩しているところを探す。全て右投手で話を進めるが、体重がかかとに掛かれば投げ終えたときに上体が一塁側に倒れる。上体が突っ込んでインステップになれば三塁側に崩れる。体重が後ろに残れば上体が前に出ていかない。立ち位置はどうか、体重移動の際に重心が急に沈んだり浮いたりしていないか。必ずどこかに修正すべき点がある。 真っすぐ立ってスムースに体重移動していき、しっかり腕を振って右足が空をフィニッシュが決まれば、右腕が体に巻きついてくる。この形になれば衝撃を逃がすことができ、肩や肘への負担も少なくなる。いい投げ方をすれば、打たれにくい球が行き、なおかつ故障しにくくなるのである』と書いてある。 野手と投手では投げ方は違うのだろうか?基本は同じである。フォームの大きさ、スピードや歩幅が違うだけであり、一連の動きは同じである。 投げ方に関してはかなり厳しく指導している。急に直せるものでも無いだろう。今までの身体に染み着いている投げ方が投げやすいだろう。でも、そのまま投げていたら何がある。 練習に付き合ってあげることはできる。アドバイスしてあげることもできる。でも、君の身体を動かすことは出来ないよ。自分の身体を動かせるのは自分だけ。強い意識を持って頑張ろう! #
by beaverscoach
| 2014-05-12 11:25
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